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第1回 島崎 晃(あきら)さん  "Jack Bara Caws" 『日本は栃木県大田原市佐久山出身、1941年生まれ。学習院大学哲学科卒業。

1969年より1971年までの2年間ブリティッシュ・カウンシルの推薦によりウェールズ大学(Aberystwyth)へ留学、国際政治学を専攻する。 ウェールズの人間と文化に感激、西ウェールズのCardiganに移住して住みつく』 

上記のような経歴の島崎さんにお会いしたのは。クリスマス近い12月下旬でした。 「そうなんですよ。 それでね。 ウェールズが気に入っちゃって、 Cardiganで"Bara Caws"というカフェーを開いたんですよ」と淡々と言われる。 元々日本では造り酒屋の息子さんであったので カフェーの開店にも何の抵抗も困難も無かったのでしょう。"Bara Caws"はウェールズ語(ケルト語)で 英語では"Bread and Cheese"という意味です。 面白いのはCardigan地方で「お元気ですか」という挨拶をすると"Bara Caws"と"Bara Dwr"("Bread and Water"の意味)の二種類のどちらかで返事が返ってくることがあるそうです。 前者は「はい、お陰様で元気です」で後者は「うーん、あんまり芳しくない」という意味だそうです。

その後チャンスがあってアフリカへ行き ナイジェリアとアルジェリアで英国と日本のCatering会社で7年働きました。 お金が出来たところで またカーディガンへ帰り商売を始めたいと考えました。 ところが業務用ビザがどうしても取れません。 「16〜17年前の話ですが、150,000ポンド持っているかといわれ、自分の持ち家などはあってもそれは考慮してもらえなく、外から持ち込んだ金でないとダメだというんですよ」と今考えても残念だという口調。 Home Secretaryに特別に頼んだりあらゆる手段を講じたが、どれもかなわず終いにはHome Officeから自発的出国を求められる始末。 その時でした。
カーディガンに住む人達1200名が署名運動をして 島崎さんの居住ビザ取得許可を嘆願してくれたのは。 町でただ一人の日本人、それもローカルのウェールズ人に溶け込みウェールズ人以上のウェリッシュ。 その頃までには"Jack Bara Caws"という愛称で、人々から親しまれるようになっていました。 「Jackを強制送還などで日本へ帰すわけにはいかない。 彼は我々地域社会の大事な財産だから」とたった2週間でそれだけの人々が嘆願書に署名してくれたのです。
いまでこそウェールズ議会の野党第一党になっているウェールズ党(Plaid Cymru民族独立運動)は、初期の頃島崎さんの"Bara Caws"で定期的に会合を持っていました。 反政府の為警察からは睨まれ、カフェーはブラックリストに載っていたそうです。 そういうお話を聞くと島崎さんの為に1200名の人たちが嘆願書に署名したということもうなずけます。 なぜ政治運動に興味を持っていたかというのは、栃木県出身の国会議員で島崎さんの恩師、故高瀬、伝先生に昔「英国に行って、政治運動でもしたらどうだ」と言われたことが動機で
あったようです。 

ビザ取得の為には大変苦労しましたが、それがきっかけでいいこともありました。 ビザ申請書類を扱ってくれていた入国官吏官が島崎さんに仕事として、日本語を教えてはどうかと薦めてくれました。 まず初めにMid Glamorgan州教育局の推薦でBridgendやMerthyr Tydfilの短大など。 続いてNewportの大学や英国特許庁。 今では合計16もの日本語クラスを抱えています。 特許庁では日本と密接な関係で業務を遂行している職員が日本語を熱心に勉強していますし、その上長官は大変な親日家で島崎さんが日本語の個人教授までしています。 日本語だけでなく文化や歴史の比較もまじえながら授業をするようですが「ヨーロッパの歴史を知らないで日本語を教えていたら生徒に馬鹿にされますよ。」とのこと。 今は大変数も多くなった日本人日本語教師への忠告のように聞こえました。 日本語教育に大変力を入れるようになった島崎さんは「予算が無い所ではボランティアとしてでも教えますよ。」と熱心に話されました。 それでも昔自分のカフェーで開かれていたPlaid Cumryuの会合の方がもっと情熱もあったし、やり甲斐もあったと懐かしんでいたことも確かです。

「ウェールズ人の一番好きなところは何ですか」と質問してみたら「日本人と似ているところ、即ちセンチメンタルなところ。 地域共同体意識」というお答えでした。 「例えば留守にするでしょう。そうすると隣近所が皆で家の面倒をみてくれる。それと季節の野菜が出来たからとよく持ってきてくれたりする」。

学期中のウィークデイを島崎さんは殆どNewportのフラットで過ごし週末や学期末にその地域共同体意識満々のCardiganの自宅へ帰ります。 丁度このインタビューをした時もクリスマス休暇直前で、その翌日にはCardiganへ帰られることになっていました。 「凄く楽しみなのはね」といたずらっ子のような微笑をたたえて島崎さんは「家へ帰って行きつけのパブへ行き ウェールズ民謡をピアノで弾いて仲間と皆で歌うこと」と言われました。 インタービューの間中よくこの‘家へ帰る’‘家へ帰って’という表現が出てきました。 この‘家’が島崎さんにとってはCardiganなのです。

急に島崎さんが声を落として両手で口をふさぎながら「私の夢はね・・」と
囁かれました。「ウェールズがイングランドから完全に独立して、ウェールズ人に精神的な平安を与えたい。 本当に良い人達だからイングランド人に対する劣等感などに縛られないで自由に生きて欲しい。 アングロサクソンはプラグマティックで割り切っているがウェリッシュにはそれがない。 そういう所をのばしてあげたい」と。
私はこれまで何人もの‘ウェールズ大好き人間’や‘ウェールズ贔屓’の人たちに会ってきました。 それでもウェールズをイングランドから独立させるのが夢といわれたのは、島崎さんが初めてで、本当に驚きました。 そこに島崎さんがどうしてそこまでCardiganの人々から愛され同胞として迎えられているかの鍵があるような気がしました。 同時に回りは日本語の分からない英国人ばかりだというのに、あたかも回りに聞こえたら悪いというように声をひそめて、この‘夢’を話してくださった島崎さんの何ともいえないユーモアが、これもまたウェリッシュにこれほどまでに自然に受け入れられている源なのではないかと思いました。   (松井みどり)