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第1回
『Japs are coming! Japs have arrived..』 >>>メニューページに戻る Cardiff郊外にあるお城とチ‐ズで有名なCaerphillyから車で更に2マイルほど北西に進んだ所にBedwasがあります。車が
Bedwasに近くなるにつれ回りの景色がこれまでの英国の景色とは大分違って来ます。どこまでも続く緑の平原の中で美しく立ち並ぶ木々の間に点点と羊が
草を食み点在する家屋の煙突から煙が立ち昇るのどかな平均的英国の景色とは余りにも違ってきます。石炭の坑道こそは見えませんが一見して炭鉱とわかる山並
みに囲まれ所々にボタ山をかかえその麓には炭鉱に働く人々のTerraced House(長屋)が延々と続きます。
このBedwasに英国タキロン株式会社はウェ‐ルズへの進出日本企業第一号として1973年に工場を開きました。ウェ‐ルズの炭鉱閉鎖に伴いかなり
大きな鉱山であったBedwas一体が工場誘致地区として指定され英国政府から誘致奨励の為の援助もありました。現在のWelsh
Development Agency(ウェ‐ルズ開発庁)の前々身Development Corporation for Wales,
Confederation of British Industry (日本の経団連にあたるもの)、Welsh
Officeなど官公庁や各種私立団体は日本企業誘致に全力をあげ多大な協力を惜しみませんでした。
官公庁や私立団体のもろ手を上げての歓迎とは裏腹に 普通の庶民いわゆるロ‐カルの人々の反応はまた別であったように思います。まず「地球の裏側か
らジャパニ‐ズが来る」「どんな人達でどんな生活をしているのだろう」という好奇心と「何だか知らないが会社を開くらしい。雇用を増やしてくれるならまあ
いいだろう」「ジャップの会社に試しに応募してみようか」などなど。
そんな中で進出日本企業第一号タキロンの生活が始まりました。同じ英国でもロンドンや他の大都市に住む英国人または特に日本や東洋への興味と関心が
ある英国人ならいざ知らずウェ‐ルズの片田舎の英国人にとって日本人はやはり遠隔の地からの来訪者に過ぎなかったようです。
「戦争映画以外に生きた日本人は見たことがないので」といって私の下宿先まで訪ねてきた人。週末にテニスをすれば「ジャパニ‐ズがテニスをしてい
る!」と言ってテニスコ‐トの金網に顔をへばりつけるようにしてあたかも動物園の動物を観察するが如く見物に来た人。質問もいろいろで本当に信じられない
ものも沢山ありました。「買い物は香港へ行くのですか?ちょっと橋を渡ればいいのでしょう。」「ベッドを知っていますか?」などは驚きではあってもまあこ
の人達にしてみれば 日本に対する知識はこれくらいなのかなあという程度で受け入れました。ところが「テレビを見たことがありますか?」などになるとどの
ように返事をするのが一番いいのかと逆に迷ったりしました。現代になって「テレビやビデオは日本」「日本のハイテクは最高」などともてはやされる時代にな
るとはその頃ロ‐カルの普通のウェ‐ルズ人とお付き合いをしている限りでは考えることもできませんでした。
毎日の生活でも今日の恵まれた生活とは程遠いものがありました。まず日本人の基本食生活の米・味噌・醤油が手に入りません。時々日本の本社や家族か
ら送られてくる‘赤十字物資’のような小荷物の食料品のお陰でやっと日本の味を思い出し香りを嗅ぐことが出来ました。たまにロンドンへ出て数少ない日本食
を買って帰る以外はカ‐ディフの町にある中国の食料品店に行って 少しでも日本食品に近いものや日本食に使える食材を探しました。
日本のお米が手に入らないことからある時ス‐パ‐マ‐ケット(これも現在のTESCOやSainsburyのような大規模なものではなく小さいス‐
パ‐)に英国人がライス・プディングというお米にミルクと砂糖を入れて三部粥くらいに煮た食後のデザ‐トを作る時に使う‘Short Round
Grain’という日本のお米にサイズが似たお米があることを知り早速ス‐パ‐へ行きました。食後用の食材ですから小さい袋に入っています。それをしこた
ま買い入れレジを通って外へ出ました。そうしたら店員の一人が息せき切って後を追いかけてくるではありませんか。どうしたのかと思ったら「どうしたのか」
と思ったのはその店員の方で「それはライス・プディングというデザ‐トを作るための材料です。そんなに沢山買ってどうするのですか?」と心配顔で聞いてき
ます。私は「大丈夫です。」と返事をしてから「日本の習慣では‘Long Grain’ではなく短い‘Round
Grain’を主食で食べるのでこれでいいのです。」と説明して何と素朴で親切な店員だろうと感激しました。初めて日本にあるような梨が中国食品店に出た
時や白菜が初めてス‐パ‐に出た時などは電話網で日本人家庭にすばやく連絡が回されました。
このように基本的な毎日の生活環境が違うウェ‐ルズで会社では現地人を採用しウェールズでの会社経営が始まりました。「所変われば習慣変わる」そこでも又いろいろ問題が起きたりさまざまな話題が出てきました。
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