Wales Japan Club logo

 第2回
『所変われば習慣変わる』

>>>メニューページに戻る

  今年のウェールズの夏は毎日青空の好天気に恵まれ、気温も最高の所では37℃などという記録破りでした。 そんなある日、 私は日本からのお客を案内してブレコン・ビーコンズへ出かけました。 余りに強い日差しに、その友人は思わず普通の雨天用の傘をさしながら、山を歩いていました。

   その姿を見て、私は30年前ある日本人の家族が初めて日本式にパラソルをさしてロース・パークを散歩した時のことを思い出していました。 英国人は 太陽が出ると何を置いても裸同然の姿で日光浴を始めます。 一方日本人は強い日差しを避けて日陰に入ったり 外を歩くときは帽子や日傘で日よけをします。  その習慣通りそのご婦人は、ごく自然に日本の日傘をさして散歩したのです。 ところがそれが英国人の目には 何とも珍しくしかも優雅に写ったのでしょ う。 何とローカル新聞に大きく写真が載りました。 私が日本とウェールズの習慣の違いを知った最初の体験でした。

   続いてある日本人の家族にカーディフでは(ウェールズではと言ってもよかったかも知れません)初めての赤ちゃんがヒース・ホスピタルで誕生しまし た。 この時もその赤ちゃんがローカル新聞の一面一杯に大きく報道されたのです。 日本人の赤ちゃんだからということだけではなくて 「生まれた瞬間から 真っ黒い髪の毛が生えている!」ということからでした。 勿論ウェールズでの第一号日本人赤ちゃん誕生のお祝いという意味もありました。 でも、殆ど丸坊 主同然で生まれてくる英国人の赤ちゃんとは違って、生まれた時からふさふさとしている日本の赤ちゃんの髪の毛が何とも不思議であり魅力的であったのです。  それ以来現在までにはウェールズ中で何十人もの日本人の赤ちゃんが誕生していますので 今ではそういうことで驚かれたり話題になったりすることもなくな りました。
   
   そういう和やかな話題や実例とは違って 厳しい世相もありました。
タキロン(UK)で受け付けの若い女性を募集したところ、とても可愛らしい適任者が応募しました。 早速採用を決めたまではよかったのですが 翌日その女 性がしょんぼりと会社へ断りに来ました。 家に帰って日本企業への就職決定の話をしたところ、家族の大反対にあい、しまいには家族会議にまでなって結局は せっかく採用された職場を断念せざるを得ないと言います。 理由はおじいさんが戦争中に日本軍の捕虜となり筆舌に尽くしがたいひどい生活をさせられたとい うことでした。 「自分は戦争なんか知らないし、新しく進出してきた日本の会社で是非働きたいと思って張り切っていたのに」と泣きべそをかいて口惜しがっ ていました。 戦後28年も経って、しかもウェールズの片田舎にこんな気持ちで生活している人たちがいたということに私達は大きなショックを受けました。
  
   それでも理想的な従業員の採用が次次に決まり ウェールズでの事業は開始されました。 ところがここでもやっぱり‘始めてみなければ分からないこと’がいろいろと待っていました。
   
   まず Job Demarcation。 自分の仕事の守備・責任範囲を決めて、それ以外の仕事は一切しないという守りの堅さです。 機械のオペ レーターなら機械の運転だけ、電気屋さんは電気関係だけ、工務設備担当者は設備だけというように守備範囲が決まっていて 自分の責任範囲以外にはいっさい 手を出しません。 例えば電気のソケットを変えるというような誰でも簡単にできることで、機械のオペレーターが自分で出来るということが分かっていても、 それは電気屋さんの仕事として、電気屋さんが来るのを待ちます。 オペレーターのずぼらさからではなく、「ここからは、誰々の仕事」というように他人の守 備範囲は侵さないという不文律が出来ていましたし、日本がお得意とする「多能工」ではなく「単能工」です。 他の分野の仕事をすれば仕事が増えるのでその 分給料を増やせという考え方でした。この職種とそれに携わる人の生活を守るということが英国の労働組合の第一の目的であったのでしょう。 このJob  Demarcationが当時の私達日本人にとっては、最も非能率的な作業形態であり、理解に苦しむ点でもありました。 その後英国が第一期・第二期オイ ルショックを通り抜け 不景気克服と製造業経営改善の努力をするうちに、このJob Demarcationはおのずから見直され、次第に改善されていき ました。 
  
   タキロン(UK)では、塩ビ板押し出し連続操業という職種の為、工場立ち上げの最初からいわゆる"Continental Shift"という朝勤 2日・午後勤2日・夜勤3晩でその後休日2日という勤務体系〔週によっては休日が3日になることもあり〕を取りました。 日本の例にならって朝勤は午前8 時から午後4時まで 午後勤は午後4時から夜中の12時まで、夜勤は午前0時から翌朝8時までというように時間帯を組みました。 この時間帯で始めようと 思った矢先に、勤務時間変更希望が社長に届けられました。 「午後勤の終了時間を夜中の12時ではなく、午後10時にして戴けないか」とのこと。 理由は 「夜中に勤務が終わってもパブに寄れない。 午後10時に終われば、それからパブへ行って 家に帰る前にイッパイ飲める」というのです。 文字通り‘駆け つけ三杯’になるか‘駆けつけ一杯’になるかの個人差はあるにしても 午後の勤務を終えてこの‘イッパイ’がどんなにか大切だったのでしょう。
  
   午後の勤務を終えてのパブへの立ち寄りばかりでなく、木曜日の夜のパブクロールもどれくらい英国人ワーカーにとって大事なことであるかも段段に分 かってきました。 週給の支払いを銀行振込みにしようとした時には、工場勤務者からの大反対にあいました。 週給の給与日である木曜日には 給料袋に入っ ている‘現金’を手で肌で感じながら家に帰り、その夜はまず行きつけのパブに行くのがこよない楽しみであるというのです。 それで人事部の給与支払い担当 者は毎週現金を手で数えつつ一人ずつの給料袋に入れるという作業を会社創業以来かなりの年月続けるはめになりました。 現在でこそ銀行振込は当たり前の時 代になりましたが、当時の進出日本企業の中でも、大会社では現金をいちいち給料袋に入れることなどは出来なかったでしょうし、どうしていらしたのであろう と、今になって思ったりもしています。
  
   日本人の集団性に比べて英国人の‘個の確立’ということがよく言われます。 これがオフィスの配置にも現れました。 前に他の会社が所有していた敷 地建物を買い取ったタキロン(UK)では、英国式に一つずつ個別に部屋が仕切られているオフィスから、オープンシステムとして大部屋で大勢の社員が使う部 屋に変えようと間仕切りを取り払うことにしました。 ところが、部長とか工場長とか上級管理職にいる人たちが「これでは、精神的に落ち着いて仕事が出来な いので、前のように個室にして戴けないか」という希望が出てきました。 英国の会社でさえも、経済的能率的なオープンシステムが普通のようになっている現 在では、ちょっと考えられないことでした。
  
  「真面目に仕事をして業績を上げれば、何故班長になれるのか? 自分は機械のオペレーターで一生過ごして極めてハッピー。 班長などにならなくてい い。」というのは、あるオペレーターが班長に格上げされることになった時の言葉でした。 自分の‘身の程を知り、それで満足する’のが大切であるというこ とが、30年前の英国社会ではまだ根強く残っていました。
  
   そんな中での日本企業はタキロンに続いて、ソニーさん、松下電器さんと次々に進出してきました。日本人会としての集団もなく、ウェールズのソニー・ 松下電器・タキロンの三社の社長が何かにつけて相談しあい協力して、ウェールズでのパイオニアとして日本人社会を少しずつ作り上げていきました。

 

ウェールズのソニー・松下・タキロンのトップ 三家族が和気あいあいと親睦旅行のある日の スナップ

ウェールズのソニー・松下・タキロンのトップ 三家族が和気あいあいと親睦旅行のある日の スナップ