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 第4回
『ウェールズ補習校の今昔』

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  有志の方達の懸命な努力と周りの関係者の多大な援助により ウェールズ日本人補習校は1981年9月誕生しました。 

    開校当時の生徒数は40名そこそこ 講師陣はカーディフとその近郊在住の日本人の奥様方の中から教員資格のある方達にお願いしたり 松下電器さん からは「大学卒の研修生を出します」という有り難いご協力を頂いたりで まず補習校としての形が揃いました。 人数が満たない学年は 2学年を一つのクラ スにまとめる複式として 又クラスはできても 日本の学級のような構成はなかなかできず‘寺子屋’形式にならざるを得ないところもありました。 それでも 念願の補習校ができたという嬉しさで 日本人会・父兄・生徒・児童が一丸となっての補習校の出発でした。

    その補習校が開校してから半年ほど経って ソニーさんから「講師の一人として手伝ってほしい」というお電話がありました。 私の教師資格免許は中 学・高校であって その頃小学校のみであった補修校では資格がないのではないかと訝る私にその運営委員の方は「そんなお堅いことは言わないで 教員資格が あるということで充分です」とのこと。 それでお引き受けしました。

    まず日本語の発音や言葉遣いが確かではない 教室では靴を机の上に乗せる 学校内でお菓子を食べる等など 教師陣の私どもの方で大変驚くことが多 くありました。 これは後で分かったことですが 現地の学校では 靴を机の上に置いたり校内でお菓子を食べることなどは 日常茶飯事で 児童・生徒にして みれば 補習校でどうして叱られなければならないのか判断に迷うということもしばしばありました。 ですから勉強そのものに加えて生活の基礎的な訓練も必 要になりました。 現地校の生活に慣れていた児童・生徒は 補習校の日本式勉強法や日英の言語・文化・習慣の違いに戸惑うことが多くありました。 たとえ ば日本の学校で使うような国語用のノートがありません。 日本の留守家族から送って頂くか ロンドンでたまに入手出来る日本のノート以外は 各家庭で普通 の洋式ノートに各学年に合わせた字の大きさに線を引いた自家製ノートを作りました。 勉強面ばかりでなく 授業料の徴収から各種事務手続きまで ある一人 の奥様が毎週補習校でボランティアとしてお手伝いくださり それを他の有志の方々が支えて下さるという形でした。 現在より人数も少なく小規模でしたから  こういうことも出来たのですが あちこちに‘手造り補習校’の姿がありました。 それでも補習校が出来た嬉しさと毎週土曜日は日本人の仲間に会えるとい う楽しさ一杯で充実した日々でした。

    ある年日本で小学校の教職歴30年というベテランの先生が着任なさいました。 丁度お正月の後 3学期初めての登校ということで 校門の所で登校 してくる生徒一人一人に「おめでとうございます」と新年のご挨拶をなさいました。 すると登校してくる生徒の中にはキョトンとした顔をして「どうして?
どうしておめでとうなの?」聞いてきたそうです。 この現象を目の当たり見られたベテラン先生は大変なショックを受け「日本人でいながら これは困った」 と真剣に悩まれました。 考えてみると他にもこういう‘日本では当たり前になっていることがここでは通用しなくなっている’ということに気がつかれたので す。

    同じ先生がある時遠足の引率としてBig Pit(元炭鉱で実際に石炭を発掘していた場所を炭鉱博物館として発掘現場を再現して見せている所)へ生徒と一緒に行かれました。 元炭鉱夫として働いて いた人たちやボランティアなどが親切に現場を案内してくれます。 説明は勿論全部英語です。 英語が余り得意でないこの先生に 生徒達は大変流暢に通訳を してくれたばかりでなく 案内係りの人に堂々と質問したり冗談を言ったりしては それをまた先生に説明してくれました。 英語の上手さといい態度の立派さ といい この先生は本当に感心してしまいました。 日本の習慣には少し疎いかもしれないが 英語を駆使し英国人とこれだけ対等に付き合える子供達に感銘を 受け「これでもいいのだ。この後どうやって少しでも日本語や日本の文化・習慣を保たせるか。
国際的に成長する子供達を見守り手伝っていこう。」と思われました。 その後この先生は「日本人なのにどうして・・・?」とか「日本人ならこうあるべきなのに・・・」というようなことで 生徒達の為に悩まれるということもなくなりました。

    それから数年後 青空に太陽がさんさんと注ぐ絶好の遠足日和に今度は大きな庭のついている館へ行きました。 子共達は大喜びで大きな輪を作りハン カチ取りを始めました。 それを見ていた私ども職員は「何とかして 運動会ができないものだろうか。 それらしいものでもいいのだが」と思い始めました。  それが発端となって まず現地校と同じようなスポーツ・ディをしてみることになりました。 幼稚園の運動会のように単純なかけっことドッジボールくらい のプログラムしか出来ません。 「もっともっと日本の運動会らしいものをしてあげたい。 日本へ帰っても戸惑わないように出来るだけ日本の運動会に近くし てあげたい」という職員の願望から検討を重ねました。 当時の校長先生の発案から「そういうことになるとやはり補習校だけではとても無理。 父兄や日本企 業のご協力も仰がねば。」ということになり 現在のような日本人会と共催での運動会が初めて実現しました。

   ‘日本へ帰っても戸惑わないように。 出来るだけ日本の学校生活に近く’をモットーにして職員は頑張っているつもりです。 でもなかなか理想通りに はいかないこともあります。 ウェールズで誕生し小学校6年まで育ち6年の1学期終わりに日本へ帰国して 2学期から日本の小学校に初めて登校した女生徒 がいました。 9月1日に初登校したわけですが 初日のプログラムが何と‘防災訓練’。 地震が起きたことを想定し防災頭巾をかぶっての避難訓練があって も 地震の経験のないウェールズ育ちの生徒には 何のことやらどういう意味があるのやらさっぱり分からず大いに‘戸惑った’という報告がありました。

   その補習校も開校23年周年を迎えようとしています。 その間に日本で定年退職をされてからもなお海外で勉強している日本人子弟のお役に立ちたいと ボランティア活動を志願してくださった歴代の校長先生を初めとして 英国在住の現校長田口先生や諸先生方のご努力 父兄のご協力 日本人会のご支援などの お陰で 補習校は現在ある姿にまで成長しました。 

ボランティアの子供達