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第5回 『日本ブームの兆し』
>>>メニューページに戻る 1980年秋 カーディフ市内のWhitchurch Adult Centre(成人教育センター)から「日本語口座を開いて欲しい。 日本企業がこんなに進出し始めたのだから現地従業員の日本語熱が上がるのは必至。他のセンターで開かないうちにWhitchurchでまず始めたい」という依頼がありました。 「日本企業で働く現地従業員の日本語習熟熱が上がる」とい うことには同意できませんでした。 現地従業員は日本人に近い所で生活しているから日本人が英語の知識を持っているのは分かっているので自分達が苦労して日本語を習うより日本人に英語を話してもらった方が楽だ」と思っているのはよく分かっていました。 ところがセンター長は自分が目論んでいることに絶対 に自信があるとして「じゃ 賭けようか」というほどまでに日本企業の現地従業員がクラスに殺到すると思っていました。 「それでは」ということでウェールズで初めてと言われる‘日本語教室’を開きました。案の定日本企業の現地従業員は殆どいなくてクラスに来た人達は柔道、 剣道、合気道などいわゆるマーシャル・アーツと呼ばれるものに精を出している人達が殆どでした。他には学校の教師が案外多く美術や音楽、地理歴史の先生 方が「待ってました」とばかりに集まってきたのは意外でした。 中には日本語の授業を探しまくってBBCにも問合せたけれども 「日本語をするくらいなら ロシア語が先だと言われた」と言って憤慨している人もいました。 日本語の勉強をいざ始めてみたはいいけれども英語とは余りにも大きく違いヨーロッパの 言語との類似性が全く無いことなどのショックで途中で挫折する人、類似性がないなどということは当たり前のこととして それだから面白いのではないかと頑 張る人いろいろでしたが それでも初めての日本語教室はなかなか盛況でした。 頑張って長続きする人が増えてくるにしたがい日本語だけでなく日本の国や文化にも興味を持つようになりました。そんな時にご主人が日本企業にお勤めで カーディフに駐在していらしたSさんの奥さんが日本で声楽を勉強なさったことからある日誘われるまま知人の家でチャリティー・コンサートを開きました。 日本の着物を着てハープとピアノの伴奏に合わせて日本やヨーロッパの歌を数曲歌われました。実は私自身着物がこんなに美しいものであったことまた民 族衣装に身を包み日本の歌曲を歌う日本女性にこれほど感激するとは思ってもいませんでした。そこに集まった人達のSさんを見る眼差しの真剣さシーンと静 まった部屋でじっと耳を傾けている熱心さにこちらも思わず胸が熱くなるような思いでした。そこには真摯な態度で日本の音楽や文化に触れたいという純粋な 気持ちを持った英国人たちがいました。 余りにも良いコンサートであったので「それならもう少し大きな会場でもっと多くの人に日本の歌や踊りを紹介しよう」と‘日本文化の夕べ’を企画しました。 それまでも日本語教室の中で時々は同じタイトルで催し物をしていましたが それをもう少し大規模にしたいと思ったわけです。 そうなると出演者ももっと 必要になってきます。 時々催していた‘文化やスポーツ交流’の為に「何処に、どういう人が、日本紹介の為にどんなことが出来るか」というリストを作って いつも持っていました。人材銀行です。 そのリストを基にして多くの日本人の特技を披露していただくことになり 歌ばかりでなく踊り、茶道、華道、剣道 や柔道の模範演技など全て日本企業に勤務する人たちとその家族や友人など素人ばかりの日本紹介でした。中にはピアノを専門としていらっしゃる方もあり日 本人の高度なピアノ演奏を披露することも出来ました。 婦人会の方々には鶏のから揚げや一口ちらし寿司などを提供していただき 休憩時間のサービスとして 日本食の一端を紹介して頂いたりもしました。身の程知らずといえばその通りでしたが 定員400名という大きな会場を選び皆さんのご協力で素晴らしい ‘日本文化紹介の夕べ’が出来ました。入りきれなかった人達が入り口で列を作り「何とか入れないか。駄目なら次の公演(!!)はいつか?」などとこちら がびっくりする質問も飛び出しました。 同じ頃 日本人会でも日本文化紹介の一助にと桂 枝雀さんの‘英語落語’の公演が企画されました。 進出日本企業のある社長さんの「日本企業がここで自分 達の利益だけを追求しているのではない、地域への貢献や文化交流も大事だということも分かっているということを態度で示しましょう。 それに日本人が ダークスーツに身を包んだ真面目一徹だけではないということ、ユーモアを理解しなかなか面白いところもあるということを披露しよではありませんか」とい う提案を基にしてのことでした。 ウェールズ開発庁, アート・カウンシル、日本航空などの協力を頂きながら 日本人会事務局が中心になって会場の設営、 プログラムの構成、現地関係者との交渉、落語の宣伝、切符の売りさばきから当日の会場整理、出演者の接待まで全て日本人会で取り仕切りました。 初めは 私自身も果たして‘落語’が英国人に受けるか、理解してもらえるか等心配でしたし回りでも必ずしも企画に賛成の人たちばかりではなかったと思います。 それにもかかわらずこれも大変な盛況で会場は爆笑と活気に満ち大成功に終わりました。 日本ブームの兆しは何も文化活動だけではありませんでした。日本式会社経営があちこちで話題になり始めたのもこの頃です。 それまででも‘Just in time’方式などを知っている人達もいるにはいましたがウェールズの一般の人達の間ではそれほど多くの人々が口にすることではありませんでした。 いろいろな団体があちらこちらで日本式会社運営のセミナーを催し英国人へのトレーニング・プログラムとして 会社のトップクラスの為ばかりでなく管理職や 一般社員の訓練にも使われるようになりました。 ‘カイゼン’(改善)等という言葉を知っている現地従業員はなかなか‘進んでいる従業員’ということにな りました。1970年代初めに‘Japs are coming.’と言って半信半疑で日本企業を迎えたり‘どれどれ日本人のお手並みでも拝見しましょうか’程度の軽い気分で仕事に応募してきたウェールズ の人が徐々に日本人を真面目に受け入れ始めたのです。そればかりでなく日本国や文化を歓迎し 日本式経営を礼賛して出来るだけ見習おう追いつこうという 方向へ変わりつつありました。 ローストビーフとヨークシャー・プディングに煮すぎた温野菜が食事の定番であった英国人の食卓に醤油の瓶がおかれ生野菜のサラダが並びスーパーマーケットで寿司が売られている今日この頃です。最近カーディフにも何と回転寿司がオープンしました。 インテリア・デザインにも日本的なセンスが好まれ漢字もかなりのブームになっています。意味が分かる分からないに関係なくティーシャツやカーテンやソファーのカバーなどに漢字のデザインがふんだんに使 われています。日本ブームの兆しが見え始めた80年代から一般のウェールズ人の間に静かに芽生えた‘日本びいき’が今もまだ続いていてしかもいろいろ広い分野で益々ファンが増えているということを心強く思ったりするこの頃です。 |