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第6回
1981年に開校した補習校の初年度は、日本人社会の中で教員免許や経験のある人を選んで教師の職について頂くという方法をとりました。それが2年目を迎えるにあたって、専任の校長を置きたいという希望が日本人会の中から出始め、日本から校長を招聘することになりました。 日本にある定年退職された校長の会の中には、退職後もお元気でまだまだお役に立ちたいという気持ちを持った方々もおられ、そのような方達から日本人会の代表企業が人選して補習校の第一代目の校長先生が選抜されました。このようにして、初代戸崎巌先生、2代目伊藤武司先生、3代目芳賀利正先生、4代目伊東篤次先生、5代目山下清一先生と5人の校長先生が、芳賀先生以外は皆さん2年の任期で、補習校を助けて下さいました。芳賀先生だけは3年間勤務して下さいました。初代の戸崎先生が補習校の種を蒔いて下さり、2代目伊藤先生がその種を優しく静かに面倒をみて苗に育てて下さり、3代目の芳賀先生がその苗を立派な植物として更に大きく成長させて下さいました。4代目伊東生、5代目山下先生も同じように熱心にご指導下さいました。日本でも2007年からシニア派遣といって退職校長を海外に派遣する制度が始まりましたが、ウェールズ補習校では1982年より独自の形でその方法を導入していたことになります。経験豊かな管理職経験者の手により補習校としての組織や土台が形作られたことは本校にとっては非常に恵まれたことでした。 芳賀先生は校長在任当時から、「日本から校長を招聘するのも良いが、日本からの赴任者はビザの関係でどうしても2年で帰国してしまう。長年続けてということができないので、この辺で英国産自前の校長を誕生させるべきと思う。」ということをよくおっしゃていました。戸崎先生の帰国と入れ違いに、現校長田口先生が一教師として補習校で教え始めました。英語の勉強にブリストルへ来て、勉強の傍ら補習校で教え、そのまま永住の道を選びました。補習校着任以来、芳賀校長はずっと田口先生を見守っていらしたわけですが、その教育理念の確かさ、責任感の強さ、子供に対する愛情、公平な考え方、どれを取っても‘将来の校長候補’として最適な人物と考えられました。日本では中学校で正規の教師でしたので 資格としても充分でした。 当時、私は教頭として芳賀校長の下で補習校に関わっていましたが、芳賀先生から初めて‘田口校長案’を聞かされた時は、田口先生の教師としての資質については何の疑問も持っていなかったとはいうものの、突然の提案に正直なところ戸惑ったのも事実でした。 どう即答しようか迷っている私に、芳賀校長は「大丈夫」と自信をもっておっしゃり、「これから一緒に‘お妃教育’ならぬ‘校長教育’をしましょう。」と言われました。‘お妃教育’というのは、現皇后陛下が民間のご出身であるということから、ご成婚の時に「これからは‘お妃教育’が大事」と新聞やテレビで盛んに言われていて、それが一つの流行語になっていたということもあります。「田口先生ならば、英国人と結婚されているので、日本へ帰国される心配もないし、何よりも人間的に信頼できるという点で最適人者であると思う。」と言われました。‘お妃教育’という言葉につられたわけではありませんが、芳賀先生の言われることが段々よく分かってきた私は、それからは田口先生を将来の校長としてみるようになりました。 それから暫くして、ロンドンの日本大使館からのお知らせで、文部省からの校長派遣の順番が回ってきました。補習校開校以来、文部省派遣の校長や教諭を希望していたのですが、「40名そこそこの児童数では、とても派遣教師は出せない。とりあえず100名まで児童生徒数が増えたら、また考えましょう。」というのが大使館からのお返事でした。それでその間、前記のように日本人会のご尽力で、日本で校長・教頭の経験豊かな5人の先生方にお願いしていたわけです。それが、「順番が来た」のです。ところが蓋を開けてみると、ただ喜んでだけはいられないいろいろな条件がありました。例えば、校長先生に秘書をつけるとか校長は校長としての職務に専念し普通の授業は持たないとか・・・ 合計12項目くらいの条件がついていました。どれも正しく当然のことばかりでしたが、その条件を一つずつ満たすにはかなり大変なこともありました。そこで、思いついたのが前述の芳賀校長の‘英国産の校長選出’の提案でした。 早速日本人会にご相談しました。理事の方々の中には「まだ若いし、第一女性で大丈夫ですか?」という不安の声がまず上がりました。そんな時に 当時の日本人会理事長で、しかも3人のお子さんを補習校に通わせていらしたHさが「それは良いアイディアだ」と同意して下さり、「やりましょう。」の一声で決まりました。それを運営委員の方々がサポートしてくださり、審査や検討の結果、理事会では理事の方々が全面的に承認して下さいました。英国産校長の誕生でした。 1993年校長に就任してからの10年間は、児童生徒数も110名~120名に増えて補習校の最盛期を迎えるようになりました。ウェールズ補習校創立と前後して、英国の他の地域でも補習校が出来、他の補習校との連携や現地採用講師の研修も盛んに行われるようになりました。特に田口校長はウェールズ補習校としての講師研修に熱心で、校内の学習指導の他に校外での研修活動にも大変力を入れてきました。 補習校創立にあたっては、日本人会の方々の奔走から始まり(第3回‘Work Together ’参照)、開校してからは、保護者、講師、児童生徒が一丸となって素晴らしいチームワークを発揮していました。田口校長はその伝統をよく生かし、ここまで補習校を熱心に続けて来られました。それが、ここ数年児童生徒数が激減して、補習校の内容も大きく変わってきています。開校当時は、ウェールズへ進出した日本企業に勤務する日本人社員の子弟の為の補習校であったのが、日本企業の縮小や撤退に伴って、子弟の数が極度に減っています。一方、個人の資格で英国で仕事をしている日本人や国際結婚家庭の子弟が多く在校するようになり、補習校はまた活気が出てきました。時代が変われば人も変わるのは当然、従来と同じ方法で補習校を運営していくのは難しくなります。必要があれば、真摯に反省し改善することも心がけなければなりません。これまで多くの児童生徒を手がけ、大変忙しく毎週土曜日の補習校運営に驀進して来た田口校長にとっては、これからが正念場であるとも言えます。 補習校開校の精神を尊び、長い伝統を失わず、困難を乗り越えて新しい世代に合った補習校として進ん で頂きたいと思います。 |