|
『吉賀憲夫コラム』 第2回 『カーディフの波止場通り(2) 』 >>>メニューページに戻る 18世紀の末、カーディフの北40kmの所にあるマーサーティドヴィル(Merthyr
Tudful/Tydfil)はウェールズにおける製鉄業の中心地となっていた。そこで生産された鉄はニューポートやスォンジーに搬出するには山越えをし
なければならない。谷を南下しカーディフに出るルートがもっとも無理のないものであった。
当時の輸送手段は小型の馬やラバであり、荷物はそれらの背にのせられ、隊列を組み目的地に向かった。しかしこの様な輸送形態は大量輸送には適さなかった
し、鉄のような重い荷は馬やラバには、まさに文字通り荷が重かった。また石炭のような壊れやすいものも不向きであった。振動で石炭は割れてしまうからであ
る。そこで、なめらかで衝撃のない大量輸送方式が求められた。当時は道路が未発達で車輌はろくに使えなかった。そのようなわけで、鉄道が敷設されるまでは
運河がもっとも理想的な輸送手段であった。
1790年にグラモーガンシャー運河の建設が許可され、工事が始まった。マーサーティドヴィルとカーディフの間には163mの高低差がある。そのため、
運河には水位を調整する51の閘門が設けられた。閘門とは水位の異なる二つの水路を繋ぐプールのような場所で、船が乗る「エレベーター」のような役を果た
す。そこには前後に水門が付いており、そのプールの中に水を注入したり、抜いたりして進行方向の水路の水位と一致させるのである。数多く作られたイギリス
の運河は鉄道の発達と共にその多くが姿を消した。しかしそれらのうちで今日まで生き残った幸運な運河は観光用として今脚光を浴びている。ホリデーシーズン
になると、レジャーを楽しむ人々を乗せた細長いボートが、ゆっくりと時間をかけこれらの運河を航行する。
グラモーガンシャー運河はカーディフではノース・ロードからカーディフ城の北東の城壁の下を通り、キングズウエイから現在ヒルトンホテルと市庁舎街を結
ぶ地下道路のある場所を通っていた。そこからはかつてカーディフの町を守った城壁に沿って運河は造られた。すなわちその運河は現在セント・デイビッズ・
ショッピングセンターがある場所を南下し、セント・メアリーストリートの南端で終点となった。そしてそこに波止場が作られた。当時そこはバンク〔提防〕と
呼ばれ、タフ川のすぐ側にあった。そこから貨物はタフ川を遡航してきた船に積み込まれた。いくらタフ川の側といえ、この場所はやはり荷役には不便であっ
た。数年後にはその運河は直接カーディフ湾に向け延長された。
そのようなわけで今カーディフ中央駅のある場所は、かつてタフ川が流れていた。ところが19世紀中頃、鉄道の駅を建設するための用地が必要となった。こ
の用地はタフ川の流れを変えることにより捻出された。蛇行するタフ川の水路を変えることは用地捻出と洪水の危険性を回避するという一石二鳥の効果があっ
た。新しく造成された土地の一角は駅の他、新しい町ができた。その名はテンペランス・タウンといった。「禁酒の町」という意味である。この町ではアルコー
ルは一切販売しないという条件の下に土地がリースされたのだそうである。面白い時代であった。
その後カーディフ湾には大規模なドック(港)が建造され、そこから最高品質の石炭が世界に向け輸出された。石油が石炭に取って代わると、石炭の輸出港と
してのカーディフ港は寂れた。今カーディフ湾は再開発が行われ、美しいウオーターフロントに変わった。カーディフは歴史の節目に巨大な資本を投下し、大土
木工事を行い、それにより近代化を果たしたイギリスでも珍しい都市なのである。
|