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ウェールズ補習校の皆様へ

(2007年10月)
元講師、保護者 中村節子


はじめまして。私は24年前、1983年から約7年間カーディフに住み、その後マンチェスター、ロンドン、ヨーロッパ大陸、アメリカで過ごし、途中3年ほど日本に戻ったものの現在もチェコのプラハで駐在員生活を送っている元補習校講師です。渡英時、長男は5歳、次男は3歳で、彼らは高校生まで主にイギリス、アメリカで過ごし、大学は日本、今は社会人となりました。末のカーディフ生まれの娘が、この春日本の大学に入学したことから、私は長い駐在員生活にやっと一区切りつけることができ、それを機にウェールズ補習校の発展のうれしさをお伝えしたくて、また海外での子供の教育について、何か書き残しておきたくて、投稿致すことにしました。皆様に何か参考になれば、また貴校に関わりのあった者の手記として軽く読み流していただければ幸いです。


1 ウェールズ補習校の思い出


 ウェールズ補習校が創立され、やっと立ち上がり始めた頃、長男、次男と共に夫に帯同、ウェールズ入りし、私の駐在員生活と補習校講師の生活がスタートしました。当時は二十数年も海外生活が続くとは、全く予想もしていませんでした。時を経て、私がヨーロッパの他の国で、そして今もインターナショナルスクールの若いお母様方の学習相談や小中学生のお子様方の勉強の手伝いをしてさしあげられるのも、原点はウェールズ補習校です。そこは歴代の校長先生や諸先輩から補習校講師としての多くのことを学んだ、忘れられない場でもあります。
 当時は、念願の補習校が出来たばかりでしたので、今ではめったにお目にかかれない英語なまりの日本語を話すお子さん(両親共に日本人)がちらほらいらっしゃいました。今のようにJSTVもなければ、日本のビデオも新聞もない時代でした。新聞は日本から一週間遅れの物が郵送され、それも皆で大切にまわし読みしたものです。したがって、子供たちが少しでも日本語に触れられるようにと、親も講師も何かと一生懸命でした。皆で図書を一冊でも多く増やすよう寄贈し、でも初期の宿借りのような補習校は、図書を置くスペースも手作りの運動会用品を置くスペースもなく、父母講師が手分けして家に持ち帰りました。授業に使う教材も簡単には手に入らず、私は日本の公立の現役教師をしている友人に廃棄処分のワークブックや参考書を送ってもらい、それらを基にせっせと補習校用のプリント作りをしたものです。そんなことばかりやっていたので、娘は1歳でDay nursary通いをするはめに(笑)。随分早く親離れをしたように思います。また運動会用のはちまきをせっせと縫ったり、ご来賓へのお茶の用意の仕方もお母様方の意見を基に、何回も話し合いましたっけ。そんな父母、教師の補習校にかける願いが次々と年毎に計画、実行され、時にはひきずられるがごとく、私は三人の子供を抱えながらハーハー言ってついていったこともありました。(あの頃は若かった!!) 

      
 我が家の学齢前の子供たちは、夫が出張で不在の時は、私の授業の間、お当番のお母様方が見て下さり、とても助かりました。ありがたかったです。また当時、平日は重責なお仕事をなさりながら、地域にも大変貢献なさり、さらに土曜日は補習校のクラスを、それも複式学級を快く受け持って下さった松井みどり先生は、私たち講師にとりましても、運営委員会の方々にとりましても、とても頼りになるまぶしい存在でした。もとろん父母にも大人気で担任発表の時は、大きなどよめきがあったのをよく覚えております。今もご活躍とのこと、うれしく思います。このように一人一人の講師、多くの父母、企業の方々の良心に従って、その精神が今でも受け継がれていることをうれしく思います。

 私は今まで数カ国、数校の補習校の教壇に立ったり、見たりして参りました。そしてプラハのように全日制日本人学校はあっても、補習校はないという地に赴任して、ウェールズ校の子供たちはとても恵まれていると思いました。的を射た学習指導と保護者の尽力による行事、活動を行うきめ細かい補習校であると思います。小規模校の家庭的な良さ、父母や教師の熱意、創立時から続く専任の校長先生の存在、これだけそろった補習校は世界中にそうはないと確信いたします。(♡)どうぞ皆様、何につけても恵まれているウェールズ校をこれからもお子様方と共に慈しみ、大切に育てていって下さい。我が家の二人の子供もウェールズ校にお世話になることができて、とても幸せだったと思います。今も昔もたくさんの方々に支えられながら存在する補習校をとても誇りに思います。感謝いたしております。


2 我が家の子供たちと勉強


 我が家の子供の中では、三番目の長女がかなり遅く生まれましたので、私は二十数年目にして、子育てのハラハラドキドキからやっと開放されました。我が家は、子供たちの高校入試まで、いつ帰国命令が出てもよいようにと、まずは毎日の現地校の勉強を大切にし、その次に日本の勉強(通信教育、補習校)をコツコツと親が助けながら進めて参りました。小学校までは比較的時間もゆったり流れ、私は自分の忙しさ(遊ぶのも含めて)に負けないように注意し、子供の帰宅後は毎日少しずつ通信教育、補習校の勉強を見ておりました。夕食を作りながら音読を聞いたり、漢字書き取りをしたり。時には、イギリス人の友人も一緒にテーブルの前に座らせ、あの手この手を工夫したものです。 
ハイスクールになると子どもたちは現地校の宿題や活動が忙しくなり、ロンドンの学校にいた頃は、とてもよく勉強、スポーツ、スカウト活動をしていたように思います。小学校の時のように、補習校や国語を嫌だと言っている暇もなかったようです。言うだけ時間の無駄であきらめていたような。私はそんな子供たちをつかまえ、国語に関しては中3まで新しい単元に入る前は、音読を聞いていました。日本の学校に行ったことがない子供たちでしたので、国語の基礎学力が低く、読めない漢字がいっぱいで、教科書は振り仮名と意味で真っ黒でした。また、子供が帰宅するまでに通信教育の間違い直しを見ておいたりもしました。夫は、現地校の数学や科学を見てあげたり。受験では我が家にジンクスがあり、父親が面接に行くと合格するということで、彼は面接のために、飛行機であちこち飛んだものでした。(田口 注:ご長男・次男共にニューヨーク慶応学院に進学、寮生活)
 充実していたというのか、単にこなしていったというのか、そんな日々を送っていたように思います。でも、土曜日と日曜日の午後は思いっきりリラックスする日で、補習校(ロンドン、アクトン校)の後、子供たちはクラスの仲間たちとピカデリーサーカス辺りで、たっぷり遊んで帰ってきていました。ウェールズ補習校にいた頃も、我が家の子供たちだけが、算数を受講せずに午後はイギリス人の友人たちと遊びほうけていましたっけ。そのお陰か?大人になった今も交友が続いているようです。


 長女については、これまた夫の転勤先の関係で、長男、次男とは違った経緯をたどりました。スペインでブリティッシュスクールに入学し、その後はアメリカの現地校、ヨーロッパ2カ国のアメリカ系インターナショナルスクールに通い、途中日本でミッションスクールの小学校に3年通い、中3まで実に様々な国の子供たちと学んできました。いつも多重言語の中で過ごしていました。
  そんな彼女に中2,3年頃「自分は何者?」という疑問がわき始め、悩み、ミドルスクールのカウンセリングの先生は、親より言葉や感覚がよく通じましたので、彼女の良き理解者になって下さいました。自分なりに「自分らしく生きればいい」「私は地球人」「私は真理(本人の名前)人」といったような答えを出したようです。進路問題では、当然のことが大きくひっかかりましたが、何とか自分の希望する日本の大学付属の高校に入学することができました。そして日本の学校や寮生活の適応に苦しみながらも、何とか乗り越え、今はそのまま大学に進み、夢に向かって歩んでいるようです。
 高校生になっても春休みや夏休み、冬休みにプラハに戻ってくると、親は随分、勉強の手助けをしたものです。古文や日本史がさっぱりわからない。そもそもそれらの勉強方法がわからないということで、担任の先生(帰国子女で同校の卒業生)も娘の心の痛みや苦しさをよく理解して下さり、まずは「英語で源氏物語を読んでみましょう」等と他の教科も細かく具体的にアドバイスして下さいました。そのようなわけで、私も去年の夏休みは、古文、日本史の手助けにあけくれておりました。高校生になっても、親が勉強の手助けをしなければならないとは、夢にも思っていず、情けないやら疲れたやら。でもやっと我が子の教育に関する長い道のりを歩ききりました。やっと解放されました。万歳!です。


 ひと段落した今、海外での子供の学習について、少しは客観的に見ることができるようになったと思います。思い返してみますと、母親の肩に力が入りすぎていたのでは?単に母親の自己満足だったのでは?はたしてこれで本当に良かったのか?ここまでしなくてもよかったのでは?等と、とても複雑な気持ちで、いまだにその答えが出ません。その内、子供たちが身を持って答えを出してくれると思いますが。     
長女については、一人っ子状態で、成長しましたので、どうしても彼女の方に目が行き過ぎてしまい、手をかけすぎて、その時その時は乗り越えられても、かなり伸びる目をつんでしまったのではないかと反省しているところです。そして、もっとほめてあげればよかったと思っています。
 多くの子供達は、親や先生に言われるままに、国語学習やその他の日本の学習に、しかたなく取り組んでいるのではないかと思います。そんな状況の中では、特に小学生のうちは、親の学習に対するかかわり方が、子供の学習効果を大きく左右するのは、言うまでもないことでしょう。しかし、二重三重文化で育つ子供達には、失う物もあれば、得る物もたくさんあるでしょう。子供は将来、自分にとって苦手な事柄や勉強でも、必要あれば、やらざるをえません。考えざるをえません。結果はどうあれ、肝心なことは、やらなければいけない壁にぶつかったときに、乗り越えられる忍耐力と前向きな姿勢を養っておくことではないかと実感致します。
親自身の留意点としては、主に次のようなことが考えられるのではないでしょうか。
 ①小学校中高学年では、毎日やることが多いために、ただやればいいという雑な中味のない(国語)学習になっていないか。②親が子供に託す夢や期待が大きすぎたり、親の出来なかったことを子供にやらせたいがために、自分の価値観を押し付けすぎていないか。子供に寄り添うことなく、声援だけ送っていないか③親だけがあれもこれもとあせっているのではないか④感情が不安定になりがちな思春期の子どもをどう理解し、支え見守っていったらよいのか。
  ポイントをおさえながら、子供をじっと見守り続けるのは、とても忍耐がいり、難しいことだと思います。私は未だにそれが出来ておらず、年だけとってここまで来てしまいました。年をとってもまだまだ親業は未熟で、子供に教えられながら育っていっています。
以上、ウェールズ補習校を通り過ぎた者が、たわいない体験を書きつづってしまいましたが、ウェールズ補習校の子供たちが、いつの時代にも日本の過熱気味な進学熱にあおられることなく、イギリスの田舎の恵まれた教育環境の中で、のびのびと育っていくのを願ってやみません。そしていつの日にか、彼ら特有のカルチャーセンスが生かされることを祈っております。私にとりましても思い出深いウェールズ補習校、いつまでも応援していきたいと思っております。